留学•就職体験談
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退職、そして復帰 ~パースへ~

引っ越した次の月曜日、私のシドニーでの社会人生活が始まりました。
最初の役職は、人材・紹介派遣部門のアシスタント・マネージャー(Assistant Manager)

未経験者には大層なお役目をいただきました。
当時は全豪で一番大きい日系の人材紹介・派遣会社でしたが、正社員数ですと30名ほど。
日本で言えばかなり小規模な会社です。
全豪で一番がこの規模ということは、日本マーケットというもの自体がローカルマーケットと比較すると大分小さいんだろうな、と感じました。

チームは3名。
もうすぐ辞めるマネージャーと、アシスタントのMちゃん。
こりゃ、業務負担も早々に大分来そうだな、と思いましたが、それ以上に不意をつかれたのが英語。笑

「岡君、しばらく電話とってね。これ、新人さんの役割だから」

すっかり忘れていたのですが、実は電話であんまり英語で話したことなかったんです。笑
最初はビクビク。
ワーホリで来たばかりの頃に語学学校で習ったビジネス英語を頭の中で探しながら、あたふたしながら対応。

毎日数十本の電話のうち、半分は英語でしたが、入社して一ヵ月もしたころには大分慣れてきました。

やはり基礎があると大分違いますが、会社に迷惑かかることがなくてよかったぁ、というのが本音。
かといって、英語はあまり自信ありません、なんて言って入れてくれる会社があるほど優しい社会でもありません。

自分の居場所は、自分で作っていくもの。
何とかしがみついてチャンスを広げようと必死でした。

社風としては、もろに日本。笑

そりゃそうです。
当時の社長も仰っていましたが、名だたる日系企業と仕事させていただくのに、自分たちだけオージーです、って訳にはいきません。

日本とオーストラリアの、完全なるダブル・スタンダード。

永住して長くなると、知らず知らずのうちにずれてくる感覚があることは否めませんし、全く日本を通すこともオーストラリアで生活するうえで無理です。
結局どこかで中途半端は出ますが、それを許しすぎると、ただ両方の国の良いとこ取りになってしまう。
そうなって社会から消えていく人は今も数多く目にしますが、そこは異国で日本と関わる上でとても難しい問題です。。

誰もが自分に都合のよい、楽な道を選びたいもの。

それでも仕事で関わる顧客やマーケットを意識した形でお仕事し続けていられる方は本当に一握りです。
そんなザ・日本の環境で、社長のトップ・ダウンでの経営で多くを学ばせていただきました。

毎日5,6回は怒鳴られてる。笑
久しぶりに目が覚めた思いでした。

意味が分からないことも多かったですが、社長の「自分の経験をこれからの世代に伝えたい」というお気持ちはとても伝わってきた。
何より、自分がちゃんと出来ていないことをちゃんと指摘してもらえる有難味って、そういう年齢にならないと分からないものですね。

日本でも、ブラックだ、パワハラ、モラハラなんて言ってたら切りがありませんが、そんなことよりも学べることがただ有り難かったです。
やりたい事が見つからなかった時間が、どん底だった経験が本当の意味で活きたのはこの瞬間だったかも知れません。

日本で一流と呼ばれる企業のトップ層やエリート層の方で、自分の会社がブラック企業だから困った、って話す方ってほぼほぼいらっしゃらないです。(冗談ではありますが)

もちろん過労死するほど働かせる企業なんて論外ですが、世界をベースに仕事をするなら、どれだけ結果を出すことに集中できるかだと、今までのキャリアを通して強く感じています。

脱線しましたが、それでも一つ、どうしても理解出来ない出来事が。
社長命令で実行した仕事が、何故か私が怒られることに。

社長としては、“社会は理不尽なもの。そういったことも含めて知っておけ。”という意図だったのだと思うのですが、当時の未熟な私にはちょっとハードルが高すぎたようです。笑

私も相当態度に出ていたのでしょう。
一日にご指導いただく機会も激増し、顧客との電話中にも呼ばれて仕事が手につかない状況に。

「社長、さすがに仕事になりません。仕事させてくれませんか。」

相変わらずなマイペースっぷりで相談すると、

「言うこと聞きたくないなら、他で働け!」

なんて言われてしまう始末。

一応週末も挟んで考えましたが、納得できる出来ない、どっちが悪い良い、ではなく、やりたい仕事がままならないなら意味がない、ということで辞めることに

朝いちばん早く行くのが私で、その次が社長、という順番は不動でした。
週明け月曜日の朝一で辞意を伝えることに。

「さっさといなくなれー!」

と言われるのかと思っていたら、返答は意外なものでした。

「え、辞めるの?そりゃ困ったなぁ。再来週から日本出張なんだよな。。あのさ、次決まってないんだったら5週間後まで働いてくんない?」

先週とは別人のような対応にビックリしながらきょとんとしていると、

「あ、俺は辞める人間にはつべこべ言わないから。最低限は言うけど、期待もないから会社に迷惑かけない範囲で好きにやってみて。」

とのこと。
あっけにとられていましたが、仕事自体はとても好きでしたので有り難い機会と思って最後の5週間がスタートしました。

実のところ、留学が終わったばかりでお金に余裕があった訳でもないので、金銭的にも助かりました。笑
しかしながらその日は朝で帰れると思っていたので、その後の仕事が延々と続く仕事と思えるほど長く感じた一日でした。

充実した5週間の仕事を終え、今度は円満退社。

さぁ次はどうしよっかなぁ?なんて考えていたら、意外な方から電話が来ました。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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