留学•就職体験談
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オーストラリアで社会復帰 ~ご縁に導かれる将来~

Geelongからシドニーまで、道のりにして約1,100km。
日本では到底考えられない車での移動距離ですが、これを一日で移動しようと思った自分は間違いだったと気づいた時には既に500kmを走った時でした。笑

残り600kmで、予定が押して既に3時過ぎ。
やっとシドニーに到着したものの、長距離運転し過ぎたせいかトンネルが狭く見えて怖い怖い。
三半規管がおかしくなっているんでしょうね。

やたら速く走っているようにも感じたので、危ないと思って急ぎトンネルを出たら、そこはオペラハウス前でした。
綺麗にライトアップされたオペラハウス。
見るのも実に2年3か月ぶりでした。

驚いたのがオペラハウスから見たシドニーの街。

「え!?こんなに大きかったっけ!?」

そんな焦りを覚えたことを今でもよく覚えています。

「シドニーなんて、新宿くらいの街だよー。」

良くも悪くもそんな感じだと思っていましたし、今でもその印象はさほど変わりませんが、このとき見たシドニーは東京より大きく見えました。
2年間のGeelong生活ですっかりお上りさんになってしまったのか。

「この街でこれからやっていくんだなぁ。本当にやっていけるんだろうか」

たぶん、オーストラリア生活で一番の心配だった瞬間でしょう。
取り急ぎお願いしていたシェアハウスへ入居させていただき、Geelong仲間で一足先にシドニーに到着していたTさんと再会。

ゆっくりお話ししたかったところでしたが、翌日レンタカーを返しに空港までいく事に加えて、その後シティで早速人材会社への登録が2件ありました。

シドニーに戻ることに決めた一番大きな理由は「仕事」
パースへの移動もこのとき考えたのですが、パースはまだ町がさほど大きくないと勝手に思っていたこともあって、取り急ぎ仕事数が多いシドニーを選びました。
永住ビザの申請も間近に控えていたことで、ほぼ永住ビザと同じ条件で採用をしてくれる可能性は高いゆえの選択でした。

一社は早々に登録を終え、二社目へ。
一社目と異なり、ビジネスの中心街「Wynyard(ウィンヤード)」駅の目と鼻の先にその人材会社はありました。

実はここ、もともと留学でお世話になっていたエージェントさん。笑
留学の時はシドニーにある留学エージェントはほぼ全てお話し聞かせてもらいました。
一番驚いたことは、カウンセラーさんのほとんど全員が長期留学経験者じゃない、ということでした。

これから永住ビザまで考えて留学する訳でしたが、旅行を案内するような感覚で学校やコースの案内をされて、ちょっと違和感。
実際留学エージェントの雰囲気って多くが旅行会社のカウンター窓口と同じところが多いので、余計にそう思ったのでしょうか。

隣の席とのプライバシーもなければ、ビザや就職情報の真偽もあやふや。
挙句の果てに、シドニーは競争も激しいので「こっそり$200値引きするよ!」

なんて声も複数聞こえましたが、どうせ永住ビザまで目指すなら、ビザや就職にも詳しいエージェントにお願いしようとそこに決めました。
「やっぱりここにしておいてよかったなぁ」

そう思ったのは無事永住ビザを申請できたときと、入室して10分後くらい。
名だたる東証一部上場企業の仕事をズラっと紹介してもらえて、当時の景気の良さと、永住ビザの威力を実感しました。

「岡くんなら、短いけど日本でも職歴あるし、大学時代だけど塾講師経験もあるから職歴はもっと長く見てもらえるよ!どこか興味あるところある?」

そんな勢いでグイグイ進んでしまいそうでしたが、とても気になったことが一点。

それは、すべての求人が営業職だったこと。

さすがに日本と同じ失敗は二度は出来ない、と思っていたので、営業職以外のお仕事のご紹介っていただけますか?とお伺いを立てたところ、担当の方はちょっと不機嫌。笑

そりゃそうです。
新卒に毛が生えた程度の人材で、経験があるのが営業と教師。
営業職で紹介があるだけでもありがたい話なのに、他ありますかって。

「じゃぁ、逆にどういう仕事に興味あるの?」

仰る通りです、そう聞かれて当然です。笑
ところが、直前まで引っ越しの事で頭がいっぱい過ぎて、そんな答えはまるで考えていませんでした。

「あー、完全に準備不足ってバレるー」

なんて焦っていたら、ふと新卒で入った会社の人事の方の顔が浮かびました。

「あ、そうだ。人事やってみたかった!

それは新卒で入社してはじめての全体会議。
世界トップ10の製薬会社の全体会議は派手そのもの。笑

安室奈美恵のバックダンサーだったMAXが出てきたり、司会がたしか現役アナウンサーだったり、会社の規模を思いしらしめるものでもありました。
そんな雰囲気に若干しらけていた自分が目をくぎ付けにされる瞬間がありました。
それは当時の人事部長のお話しのとき。

「私は〇の人材も、□の人も、△の人も、×の人も、みんなが活躍できる会社にしたい」

と言って会場から失笑を食らっていました。

「”そんなこと、無理に決まっているじゃないか。” みなさん、そう思われていると思います。私もそう感じることはありますが、人事部長である私が諦めたら、この会社は一向にその方向にすら向けない。だから私はこの会場の全員が諦めても、最後まであきらめません。」

会場が静まり返りました。
社会に出ると、多かれ少なかれもまれて個人の理想などいつか忘れてしまう。

私もどこかそんな諦めを先輩方からのお話しで感じていた部分はありましたが、人事部長という立場でありながら今も理想を追っている。
それがどこまでその方の本意だったかは分かりませんが、普段からお話しさせていただくときの印象から、恐らく本心だったのだと今でも思っています。

「自分もいつか、こんな大人になりたい。」

入社して一年早々で退職してしまって、会社にはだいぶ迷惑をかけたと思いますが、この言葉を聞けたこと、そして今もつながってくれている同期達に出会えたことは一生の財産です。
話は逸れましたが、そんな思い付きみたいなことを担当の方へ伝えると、思いの他表情がまた穏やかに。

「あれ?岡くん人事興味あるの?それなら人材紹介とかやってみる?ちょっと営業あるけど。週1~2回くらいの企業訪問で、たまに利用いただいている企業さんとご飯くらい。どう?」

なんでこんな話になるかというと、実はオーストラリアで人事を目指すなら大きく分けると二通りなんです。

一つは大学で人事を専攻して新卒枠か事務などを一旦経験して人事へ異動するか、もう一つは人材紹介会社で実績を積んで、採用担当として企業へ入るか、です。

当時の私は知る由もありませんでしたが、とりあえず営業は補助的だし、人事の世界に入れるのであればこんなに有り難い話はないので二つ返事でOK。
トントン拍子でそのまま社長面接へ。笑

名刺をいただいて座ったと思ったら、聞かれたことは大きく言って二つだけ。
給与が私が希望していた額より大分安くなるけどいいか、ということと、いつから働けるかの二点。

取り急ぎ聞かれたことにこたえて、その後社長さんが会社について色々お話しして下さいました。

最後に質問は?と聞いていただけたので、一つだけ伺いました。

「私の経歴等に関してご質問いただいておりませんが、問題ないのでしょうか。」

その答えは今でも忘れません。

「この世界さ、時間との勝負なんだよ。プロは入室して名刺もらうくらいには大方答えは決まっているものさ。後は実際に働いてみてだね。来週から楽しみにしてるよ。」

こうして私は晴れて日本社会に復帰しました。
昨日までは思いもしなかった人事への仕事。
でも、縁あってこの会社で拾っていただいて、可能性を感じてもらえていることにとても有り難く思いました。

憧れだったあの人みたいになれるかは分からないけれど、今から出来ることを精一杯やろう。

いつもと変わらず、それだけ。
今もそうですが、いつも目の前で精一杯です。笑

でも、その精一杯の努力と思いが適切なら、続けていればちゃんと道が出来ていくということも私に教えてくれたのもこのキャリアです。

次回は、てんやわんやの社会復帰生活。
オーストラリアでも、日本社会は複雑です。笑

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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