留学•就職体験談
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卒業を前に、様々な転機1 ~永住ビザ申請準備~

何だかんだありながらもサーティフィケート3(Certificate III、調理師免許コース)を終える一年後くらいには、大分Geelongでの生活も、学校のリズムも出来てきました。
ちょうど2年目に入った頃のある日、突然授業が休講に。

「いい機会だから、IELTS(アイエルツ)のテスト予約しにいこう!」

残念ながら私が留学していたGeelongにはIELTSセンターがなく、メルボルンまで受験しにいかなくてはなりませんでした。
しかも、当時は留学生激増の時期ということもあってIELTSの受験会場が絶対的に不足していた時期。

何と、3か月先まで予約でいっぱい。笑

初めて受けたシドニーでは比較的すぐ受けられたものの、当時は3か月ルールがあり、受験した後3か月間のテスト結果は進学やビザ申請には使えませんでした
今は料金は上がりましたが、どこの土地でも毎月予約も取りやすい環境で受験できることは正直かなり羨ましいです。

7月に予約しにいって、実際の受験は11月。

私はそもそも勉強が大嫌いなため、テスト対策は小学校の時から入念にやるタイプ。
そんなことも乗じて大学時代は塾講師を4年間。

高得点のための最短距離を見つけて、そこだけに的を絞って対策します。
私のようなバカは、頭の使い方を考えないと考えることをやめます。笑

結果、一発でパス。笑

やはりTAFE入学のときも受験していたことは大きかったです。

ACCのお客様にも、「お前、身内か!」と思われるくらいにIELTSの早期受験を口をすっぱくして言わせてもらっています。
理由はいたってシンプル。

「永住権を取れない理由1位が、IELTSスコアが取れなかったから。」

私と同じ時期に留学していた人でも、ビザ申請に必要なIELTSスコアが取れずに帰国を余儀なくされた人は少なくありません。
戦友のような仲間の帰国を見送るのは、自分の事のように胸が引き裂かれる思いでした。

嫌なんです、言っておけばよかったと思うのは。
思春期の恋愛の後遺症でしょうか。笑
(失恋からしか学んでません)

話は戻って、IELTSの受験を終えた後は旅行会社へ。

永住ビザを申請した後はブリッジングビザになるため、もしかしたらしばらく国外に出られなくなることもありましたので、卒業前の最後の休みを利用して日本に一時帰国しようと珍しく貯金をしていました。

「4年ぶりに桜がみられるんだなぁ」

年が明けて、卒業まで残り半年を切ってからは永住ビザ申請の準備を本格始動
1月半ばにはビザコンサルタントと契約して準備開始。

英語にも不自由はしなくなったものの、一生物の永住ビザ
保険をかける思いで、信頼できる知り合いの紹介でしっかりした法律事務所にお願いしました。

当時の私はホールピアスにモヒカン
法律事務所の高貴な雰囲気には、明らかに場違いでした。笑

日本に出かける3月後半には大方準備も終え、あとは日本で取得する戸籍謄本などの書類と、学校の卒業のみとなりました。

「Otto!日本かえるんだってな!俺も実はチケットとったんだ!」

と言ってきたのは仲良くしていたオージーの友達。
2年ぶりの帰国をのんびり過ごそうと思っていましたが、そういうハプニングももはや慣れっ子。笑

当時はメルボルンからカンタスの直行便が飛んでいたので、あっという間で成田へ。

電車で上野まで移動すると、Geelongで留学していて少し先に一時帰国していた仲間に再会。

「Ottoさん、お疲れ様です!あ、明日2時に迎え行きますんで大阪行きましょう!」

その時がたしか夕方6時頃で、とりあえず今日は帰ってゆっくり寝られるなんて思っていたら、夜中の2時とのこと!
わざわざ時間作って出てきてくれた同期との再会も早々に、実家に帰ってつかの間の休息。
深夜から旅行に行くと言ったら、母もビックリで唖然。笑

首を長くして待っていてくれていたであろうに、とんでもない親不孝な者です。

旅行メンバーは私も含めて5人。
一緒に帰ったオージーの友達、Geelongで大学を休学してきていた二人と、彼らの大学の友人でGeelongにもちょろっと遊びに来たことのある漫画家の卵くん。
彼も今はだいぶ名前も出てきていますが、今が辛抱時のよう。
陰ながら応援してますよ。

傍から見るとイジメにしか見えないような可愛がられ方をしていた、その漫画家の卵くんが車を出してくれて、いざ京都へ!

漫画家の卵くんのお友達(ちょっと会っただけ!?)のお友達の家に泊めてもらったんですが、コンパクトで素敵なお家。

何と3畳布団2枚に大人5人!笑
まだ春先だったので朝夕は冷えるため、布団争いは壮絶。
5人で一番年上だったのが私だったこともあり、私はゆっくり寝させてもらえる位置を確保させてもらいました。
人生で初めて年功序列を感謝した瞬間でした。笑

朝目を覚ますと、Geelongでもよく一緒に買い物に出かけていたOくんが既に起きていました。

「Ottoさん、風呂いきますけど、いきます? その後ちょっとメールチェックしたいんで、漫喫寄っていいっすか?」

Oくんはちょうど就職活動中で、説明会や面接のメールが来ていないか心配な様子。

当時はまだi-phone出ておらず、スマホ前時代。
PHSの進化版としてウィルコムが流行っていた時期です。
まだまだ就活生には不便な時代でした。

久しぶりの銭湯に感動しながら、日本の下町の居心地の良さを感じたことは正直意外でした。

Oくんとは彼が留学していたときも一緒に買い物に行ったり、語ったり、今でも親友であり、弟のような存在です。

彼が日本帰国以来の再会だったこともあり、二人でゆっくり話が出来たのもまた日本に帰ってきたことを良い意味で実感させてくれました。

「サクッとメールだけみちゃいますね。Ottoさんもブース借ります?」

人生初の漫喫。

「へぇー、こんな風になってるんだー」

などとキョロキョロしながら指定されたブースへ。
別にチェックするメールもないかと思いきや、mixiにコメントでも来ているかと思ってとりあえずログイン。

そう、この頃日本はfacebook < mixiでした。笑

開くと、新しいメッセージが数件。
日本帰って来てるなら会おうよー!という、温かいお誘いのメッセージが続きましたが、一件だけ、おや?

なんと、出国前に別れた元彼女からのメールが

あまり考えていてもしょうがないので早速開けてみて更にビックリ。
私が振られたはずなのに、どういう風の吹き回しか、まだ忘れられないと言ってくれていて、私が嫌でなければ会いたいと。

正直、「Otto、日本帰って来てるんだね!日本はどう?彼氏に悪いから会えないけど、日本楽しんでね!」くらいな内容が精一杯かと思っていたので、人生で一番自分がわからなかった瞬間だったと思います。

「ねぇOくん、これってどう思う?」

就活中の彼にはなんのこっちゃだったことでしょう。笑
とりあえず冷静になれるまで考えよう、ということで一旦保留。
その日はUSJ観光の日でしたが、完全に心ここにあらずでした。笑

感慨深いものです。

3年半前に振られたときも大阪旅行中でUSJの前日。

自分の人生に、いったい何が起こっているんだろう。
なんて大げさに思うほど大きなグラつきを感じました。

ワクワクとも違う、

まだ見ぬ不安とも違う、

そのどっちとも似たような。

せっかくUSJいるんだから!と大はしゃぎして現実逃避。笑
でもやっぱり浮かれてたのかな。

何も決められないまま、どこか浮足立った気持ちを抑えるようにUSJを後にしました。
帰りの車の中で流れていた、Funky Monkey Babysの「旅立ち」が耳に残りました。

余談になりますが、帰り道でアメリカ村に立ち寄ってショッピング。
久しぶりのOくんとのショッピングです!

超テンション上がって大興奮で、爆買い。

結果、
気が付いたら旅行で使う予定だったお金、全部使ってました。笑

留学して貧乏生活しても、バカは治りません。。
お気に入りのアコギを処分することが決定した瞬間でした。涙

やっぱり浮かれてたのかな。。笑

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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