留学•就職体験談
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ワーキングホリデー、スタート

追い出されるように日本を出て降り立ったシドニー。
実はホームステイを申し込んだ一週間前の入国でした。

一週間くらい、会社や学校、グループ、何にも所属しない、素の自分で海外を見てみたい、ということが理由でした。
家のパソコンを前に、一年半英語から離れていたブランクを感じつつ、辞書片手にバックパッカーを何とか自力で予約しました。
泊まったのはシドニー中心部の南の端、電車の駅としてはオーストラリア最大?のセントラル駅の横に併設された、”YHA Central”
車両の中に二段ベッドが二つ置かれた四人部屋でした。

降り立った初日は、チェックインを済ませてすぐに学校を申し込んだエージェントさんにご挨拶。
早速あれこれ質問させてもらいながら、

「あのー、ダーツバーってどこにありますか?」

担当のカウンセラーさんに聞くと、
「ダーツバーって何?」
と一言。

2004年当時、日本ではダーツバーが流行りだしていた時期で、てっきり英語圏はどこでもダーツバーなんてとうの昔にあるものだと思っていたら、そんなものはシドニーにはないと聞かされてビックリ。

やっぱり日本にある一見海外文化っぽいものって、いろいろなところから輸入したり、日本に合うように加工されている文化が多いんだなぁと実感。
もちろん、自分の下調べが甘すぎるのが原因なんですけどね。笑

エージェントさんを後にして、次に向かったのは銀行。
オーストラリアでは入国して間もない時の方が銀行口座は開きやすく、ホームステイに移動したり、学校がはじまる前の時間があるうちに開設しておいた方がいいよ、とアドバイスもらったので早速実践。

曲がりなりにもそれなりに得意意識はあった英語。
実は大学生のときも、塾のアルバイト代は英語の学校のローンに充てるほど自己学習もこっそりしていたので、ある程度の自信はありました。

窓口について真っ青。
全く言ってることが分かりません。笑

聞き返したり、私の質問は通じているようですが、答えてくれている内容が全く理解出来ません。
最終的に紙とペンを渡して、言っていることを書いてもらって、私は普通に話す、という意味の分からないコミュニケーションで何とか無事口座は開けました。

私より前にアメリカに留学していた妹にも、

「お兄ちゃん、多分うちの家系ってリスニング弱いから気をつけて」

と言われたときは、俺は例外くらいに思っていましたが、大間違いどころか私の方が弱いんじゃないかと自信をなくすほど。笑
こんなんだったらバンドなんかやって大音量で耳傷めるんじゃなかったかな、なんて、これまた意味の分からない後悔も頭をよぎりましたが、全て後の祭り。

「まぁ、何とかなるさ。焦ったってどうにかなる問題じゃない。語学学校も行くし、ゆっくり時間かけながら慣れていこう」

その後は夜までシドニーの街中を散策。
ランチを食べに入った日本食店で、「そういえばオーストラリアって、チップいるんだっけ?」と焦ったことは良く覚えています。笑
(注:オーストラリアではチップは必要ではありませんが、サービスを良く感じたときなどはチップを入れることもあります)

出国前にバタバタしたこと、また、折角海外に出るのだから趣味の音楽のデモテープも折角だから作っていこうと慌しくレコーディングしていたこともたたってか、着いて早々発熱。
結局二日目は寝て終わりました。
持って行った風邪薬のおかげもあって、夜になってようやく熱も引き、タバコを吸おうと外に出て、シドニーの街に浮かぶ月を眺めながら一服。

「あー、知り合いも誰もいない、言葉も通じない街に来たんだなぁ」

やっと海外に来たこと、今自分の置かれている状況を客観的に理解出来ました。
不思議と不安はまるでなく、むしろ今の自分でどこまで通用するのだろうかと、英語もろくに通じなかったにも関わらず、胸が躍ったことは今振り返ってもビックリ。
海外の不安云々というよりも、日本で生きて行けるか、失恋をどうやって乗り切ろうかといった悩みの方が遥かに大きかったのでしょう。

マイナスばかりに思えていた自分の人生が、0に戻れたような瞬間でした。

元気になった三日目からはシドニーを端から端まで歩いて回りました。
シドニーの日本語情報誌にとりあげられているスポットは大抵訪れましたが、オーストラリア第一の都市といわれているシドニーが、日本で言えば新宿駅一つほどの規模であることにまたビックリ。

「日本って国土は小さいけど、東京ってどんだけモンスターシティなんだよ。」

日本の偉大さに驚きながらも、ここでどうやって生きていくのか、少しずつ考えていこうと思いつつ、ホームステイへの移動に備えました。

「どんな家庭に迎えてもらえるのかなぁ」

そんな期待にもちょっとワクワクしながら、ホームステイへの移動当日を迎えました。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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