マンリービーチからバスで10分くらいの場所にあるワーリンガー・モール(Warringah Mall)というショッピングセンター。
2006年2月から、そこに隣接する、テーフ・ノーザンビーチズ(TAFE Northern Beaches)というキャンパスで調理師への第一歩を踏み出しました。
ワーホリの終わりから2月まで少し時間があったので、IELTSのコースを間に挟んでの学生ビザ延長。
しかしながらTAFEに入った初日は全く英語が聞こえない&通じない事にビックリ。
TAFEの入学はIELTSスコアを使ったので、求められるIELTSの基準はクリアしたとは言え、やはりテストと実際の授業とでは大違い。
クラスメイトになったタイ人の英語においては、ほぼ全く理解出来ない始末でした。笑
授業でも、課題が出ていることすら気付けずスルーしてしまって出せない状態・・・。
そりゃさすがにヤバイ!
と思ったのは私だけではなく、クラスメイトが
「今課題出たけど、Otto聞いてた?」
と確認してくれるように。笑
先生も気にかけて確認してくれるようになり、何とか周りの善意と優しさに支えられて授業についていけるようになりました。
マンリービーチでのカフェの仕事にも慣れ、来週から包丁握ってみるか!という話にもなっていて、勉強と仕事は極めて順調ではありました。
しかし、当時の私は毎日悲痛の思いで通学していたのが事実。
理由は、
失恋。笑
例の彼女と年明け早々にバイバイしたのですが、「同じキャンパスで勉強できたら楽しいね」なんて話していたものですから、すぐ近くの教室で彼女も勉強している訳です。
彼女の専攻はホスピタリティ・マネージメントだったものですから、キッチンの授業は違えど、授業形式の勉強は同じ校舎。
嫌なんですよね、そういう縁になった人と、違う道行くことにした後にちょくちょく会うの。笑
しかしながらそのような状況ゆえ、避けてばかりもいられないので何とか折り合いをつけていこうと距離感を探っていたところでした。
高校の時も、大好きだった彼女に振られて2年間棒に振ったこともあり、もう同じような経験はしたくない、と思っての必死の抵抗でしたが、敢え無く3ヶ月と持たずに撃沈。
「もう精神的に持たないわ」
そう感じてから一応数日何もしないで部屋に篭って考えをめぐらしましたが、良い案は思いつかず、それならキッパリ辞めて帰ろうと帰国を決意。
学校にその旨伝えると、お金も経験も勿体無い、と引き止められましたが、今のままの心境で勉強していても、大好きなシドニーも料理への興味もなくなってしまいそうで、そっちの方が何倍も怖かったのが本心。
1週間ちょっとで帰国の準備をし、また戻ってくることも考えてはいましたが、とりあえず完全帰国。
ワーホリで海を渡って以来、一度も日本には帰っていなかったので、日本に帰って改めて自分を見直し、最終的に戻ってきたいと思えばその時、と思って何も決めずに飛行機に乗りました。
不思議と、もう帰って来ない感覚はありませんでしたが、とりあえず日々の苦痛から解放された安心感で、そのときはそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。
「帰ったら今後のこと、また考えなきゃなぁ。何度似たこと繰り返してるんだろ。俺って本当にバカー。笑」
いまだに将来への方向性が確率出来ない自分に嫌気がさしながらも、そのとき出来る最善を尽くしての事の連続ではあったので後悔はありませんでした。
「後悔がない人生が幸せなんて、絶対嘘だな。笑」
そんなことを思いながら飛行機の中で一休み。
私にとっては予期せぬ帰国になりましたが、神様の中では予定通りの帰国だったようです。
帰国後、私の覚悟が固まる瞬間が訪れます。