留学•就職体験談
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”まさか”は忘れた頃にやってくる ~独立へ~

ワーホリのときにパースに来たときは電車で3泊4日。
今回は飛行機ということもあって、あっという間だろうと思っていたら、意外と遠いぞ、パース!笑

シドニーから飛行機で5時間。
ようやく到着しました。。
もはや外国ですね。笑

当時はパースでもサマータイム(こちらではDay Light Savingと呼ばれています)が試験的に行われていたので、時差は2時間でした。(今は3時間)

時計上、5 – 2でシドニーを出て3時間後にはパースに到着した訳です。
シドニーだったら夕方になろうかという時間でしたが、パースではお昼時。

シティの中心部にあるマイヤー(Myer、オーストラリア全土にあるデパート)の路面にあった日本食屋さんで、気分的には大分遅いランチです。笑

「さぁ!オフィス行こう!」

社長から教えていただいた住所を見ても、オフィスらしい建物が見えません。。

それもそのはず。
そこは地上から1~3階がショッピングモールとフードコートになっている建物の上にあるオフィスビル内だったからです。

「シドニーのオフィスはビジネス街だったのに、随分雰囲気違うなぁ」

3年前の同時期にもこのモール来たよなぁ、なんて感慨深くエレベーターで上の階へ。
「隣にある、携帯レンタル業者のニッテルさんに鍵預かってもらってるから、着いたらニッテルさんに挨拶がてら取りに行ってね」

自身、ワーホリから学生ビザまで、トータル3年間お世話になった携帯レンタルの業者さんだったので、縁があるなぁなんて思いながら入店。
ご挨拶を済ませて鍵を受け取り、隣のパース支店オフィスへ。

鍵を開けてみてビックリ。

「え、ここって夜逃げオフィス!?」

後から聞いたのですが、実はここ、2008年に倒産した某大手留学エージェントの現地窓口を担当していた会社が事実上の連鎖倒産をして、そこが空いたことがきっかけで格安で借りられたオフィスとのこと。

「どうりで表のドアとか蹴った後とかあるわけだ」

良く見るとドアに張り紙がしてあり、詳細は弁護士に連絡されたし、的な文言が書いてありました。

この時期、もう一つ大手留学エージェントが倒産し、そちらでもお客さんが学校に申し込んでいたのにエージェントから学校へお金が支払われておらず、通えなくなる人たちが出た時期でもありました。

おかげさまでACCもそれなりの規模になりますが、そういった経緯もありお客さんには学費は学校へ直接お支払いいただいている次第です。

つい昨日まで営業していました、という状況のオフィスで、椅子には前任者のものであろう上着もかかったまま。。
ゴミ箱にはいつだか分からないハングリー・ジャックス(日本だとバーガーキング)の食べ残しも入っていて、なんだか匂ってる。。
急いでごみを捨て、掲示物を剥がし、掃除機をかけて営業準備です。

まだインターネットも通っていなかったので、PCの設定と併せてインターネット会社に電話して自分でつなごうと思ったら、何かの不具合で2週間ほど通じない始末。

やっとオフィスが普通に営業できるようになったのは、パースに到着してから1ヵ月後のことでした。

「これだったら自分の会社でやっても良かったんじゃないか」

サラリーマンをやっていたら、誰もが一度は浮かんだことのあるこのセリフ。
まさかこの経験が後々の会社立ち上げに大きな勇気をもたらしてくれるとはこの時は夢にも思いませんでした。

リーマンショックで世界は景気のどん底だったこの時期。
パースはというと、資源バブルの真っただ中。
来たばっかりなのに、人材紹介・派遣業は3ヵ月後にはそれなりの成果が出ていました。
素人に毛が生えた程度のレベルなりに努力はしましたが、好景気の勢いを肌で感じた立ち上げ初期でした。

日本はバブル崩壊から緩やかな右肩下がりのデフレが続く中、パースは私がワーホリで来た3年前と比べても、平均して物価が3割ほどインフレしている状態。
インフレを経験出来る日本人のビジネスマンって、実はあんまりいないんですよね。
有り難い経験です。

前職は人材紹介・派遣会社のイメージが強かったので、今ACCが注力しているキャリアコンサルティングでの業績はなかなか伸びなかったものの、立ち上げて2年半を過ぎたころには優秀なスタッフにも巡り合え、3年目、4年目のピークを迎えることが出来ました。

立ち上げて1年3ヵ月後にはオフィスも倍の広さに拡大。

といっても、ブリスベン支店も同時期に引っ越しで、思ったより予算を使ってしまったらしく、煽りを食らって予定よりも小さいオフィスに。。
その後しばらくブリスベン支店が赤字続きだったときには、全体会議でもブリスベン支店長にガンガン詰め寄っていたことはいう間でもありません。笑

それからは積極的なスタッフ採用や、とても限られた予算内で知恵を絞ってアイディアを出して失敗を恐れず実行させてもらうなど、良い意味で守られている立場を最大限活用して色んな経験を積ませてもらいました。

またそれ以上に、サービスを提供させてもらってお金をいただいているお客様からも多くの気づきときっかけ、勇気をいただき、支店経営という点でも様々な経験をさせていただきました。

ビジネス規模も拡大し、さぁこれからどんな展開をしていこう!と思っていた4年目の終盤、急遽会社の経営陣が一新

「社長なんて、綺麗なオフィスに美人の秘書を携えて、のんびり椅子に座ってニコってしてるのが仕事でしょ」

そんなくらいに社長という仕事をナメていた私には、社長という存在がいかに会社にとって大きな存在かを、この後2年弱で嫌というくらいに勉強させられた時間になりました。

社長と意見が合わない、ということでの冷遇。
やりたい仕事もなかなかさせてもらえずに、完全結果主義だった会社の体制は、徐々に政治優位の世界になっていきました。

キャリアコンサルタントとしてのキャリアも5年を過ぎた頃、パースオフィスの賃貸契約延長手続きのタイミングで事件は起こりました。

ビジネスとは本当に生き物なんだなぁ、と実感した2014年の年始。

いよいよACCの誕生です。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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