留学•就職体験談
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再び学生ビザでオーストラリアへ、メルボルンへ ~新たな1からの出発~

メルボルンに到着して一週間はバックパッカー生活。

サザンクロス駅近くにある、ワーホリ時代の友達に勧められたところに滞在しました。

到着したときは2006年サッカー、ワールドカップの真っ最中!
バックパッカーでも連日プロジェクターで早朝から試合を映してくれていたこともあり、リビングまで毛布を持っていっての観戦です。
日本人はおそらく一人?だったので、オーストラリア戦はひっそりと声をひそめて応援していました。笑

このドイツ大会では日本はあまり良い結果が出ませんでしたが、中田選手の引退が印象的で、今後の彼の人生にも強く興味を持った瞬間でもありました。

先を行くがゆえの孤独、はっきりした物言いを好まない日本文化との折り合いなど、日本が世界に出るにあたって様々な試みや苦悩を経験した彼の人生は、サッカー選手を引退した今の方がむしろ興味深いです。

オーストラリアとしては、この大会をきっかけにサッカーブームが訪れ、この後サッカー競技人口が急増しました。
この数年前までは、一般層にはサッカーって何?くらいのスポーツでしたから。笑

今は日本の東京オリンピックの話題をニュースでも見かけますが、これをきっかけに、日本が世界に誇る数々の文化や技術も併せて届けられる機会になってくれたらと切に願っています。

話は逸れましたが、サッカー観戦をしに来たわけではないので、サッカーを観終った後はメルボルンの街に出て生活の準備です。

まずバスタオルを買って、その後は携帯電話のレンタル。
当時はまだスマホ時代ではなかったのでガラケーです。
留学後半になって「スカイプフォン」なるものがリリースされて即買いましたが、オーストラリアの携帯でインターネットが一般的になるのは2008年のアイフォンの登場まで待たされることとなりました。

携帯はワーホリの時と同じレンタル会社さんにお願いしましたが、その手続きの中でどこに住むかを尋ねられ「Geelong(ジーロング)」と答えたら、「ずいぶん遠いね!」と言われて発覚。

どうやらメルボルン市内から私が申し込んだGeelongのTAFEへ通う人はいないようです。

しっかり確認しなかった私が悪いのですが、どうやら電車で一時間ほどかかるらしく、通えなくはないけれども、メルボルンは今も昔も留学生に対して公共交通機関の学割が効かないので電車賃がエライことになるとのこと。

慌ててGeelongへ下見に行きました。笑

電車に揺られて1時間。
薄暗い、シドニーとはまるで異なるオーストラリアの空模様や街並みに、同じ国とは到底思えない違いを体感しながらも、逆に変に似ていなくて気持ちの切り替えもしやすいかな?と前向きな自分に驚いた道のりでもありました。

Geelongに到着して、駅の目の前がキャンパスなのにビックリ!
これからの2年間、私の学生生活の中心となる「Gordon Institute of TAFE(ゴードン インスティテュート オブ テイフ)」です。

事前に連絡もなしでいきなり学校を訪れてさぞかし面倒だったことと思いますが(笑)、留学生窓口のマネージャーさんが快く対応してくださり、キャンパスの中を案内までしてくれました。
当時は日本人留学生が付属の語学コースELICOSも含めると15人ほどいました。今はほぼ日本人がいないそうなので、英語環境求める方には激押しです!笑
留学生窓口は当時アシスタントだったEugine(ユージン)さんが昇格されてマネージャーになっていますので、今も定期的に連絡取らせてもらっています。

「卒業生がエージェントやってるなんて、学校からしたら一番うれしいことよ。ぜひゴードンを紹介してね!」

と言ってもらったのに、拠点がパースなこともあってあんまり紹介出来てなくてごめんなさい。
私のブログに共感してもらえる人は是非ゴードンへ。
Geelong生活の裏技も伝授します。笑

このときキャンパスを案内してもらった時に会った日本人の面々は、今でも交流が深い人ばかり。

一人一人、今でもこの時に会ったときのことを鮮明に覚えてます。
とても人情味に溢れた、笑顔の人ばかりで不安だった私の心を解きほぐしてくれました。
何かここでやっていけるかも、と思えたのも、彼らがいてくれたからということはとても大きな支えでした。

海を渡って知る、日本の良さと日本人であるという事実。

もちろん、日本人以外との交流で得られる文化理解や英語力上達は、他民族国家であるオーストラリアならではですが、日本人同士の交流もいろいろな意味で大事にしてほしい、というのが私の願いです。
振り返ってみると、自分と似た学歴や目標を持った人との付き合いがどれほど多かったことか。

それはそれで素敵なことなのですが、日本って意外と自分と全く違う生き方している人と出会う機会って少なくないですか?
良くも悪くもオーストラリアにいる日本人の方々は個性豊かです。
私も含めて、社会不適合者多数。

何もない自分を温かく迎えてくれたのはオーストラリアであり、ここにいた日本の人たちでもありました。

そして気になっている家探し。
とりあえずGeelongのバックパッカーに滞在することも考えましたが、学校の掲示板で何件かアコモデーション(貸し部屋)の張り紙を見つけたので早速連絡してみることに。

ちょっと値段は高かったものの、学校の道を渡って反対側にある家のオーナーさんに連絡したところ、すぐに見せてくれるというので早速見学。

10名前後のシェアハウスでしたが、部屋も綺麗でしたし日本人も一人もいないところだったので英語環境としても良かったため即決。
取り急ぎ半年契約してまずは生活の基盤を作ることにしました。

思いの外、一日で目的はすべて達成できたので一安心してメルボルンへの帰路へ。
メルボルン市内での生活を勝手に想像していたため、早速大きな進路変更を求められた気分でしたが、なかなか田舎町で長期間住む経験も出来ないだろうと前向きになれたことも、自分のこれからの生活への前向きさがもたらした幸運だったのかもしれません。

何事も思ったようにはいかないけれど、それもそれで楽しめて人生の楽しさも増えるもの。

そんな風に思えるようになれたことはワーホリ生活で得た大きな財産のように思います。
メルボルンのバックパッカーの滞在を終えGeelongへ引っ越し、久しぶりの一人暮らしを満喫・・・といっても引きこもりですが(笑)たまに街を散策などしていたらあっという間にオリエンテーションの日を迎えました。

シドニーでも一度経験したTAFE入学。
今度はどんなスタートになるのか。

シドニーのときは英語でも大分躓いたこともあり慎重にもなりそうでしたが、ちょっぴりですがTAFEとカフェでの仕事経験者というアドバンテージを自信にして頑張っていこうと、朝の準備を慌ただしくしながら学校に向かうのでした。

学校についてみて早速ビックリなこと連発。笑
次回はいよいよGeelongでのクッカリー生活スタートです。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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