留学•就職体験談
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とりあえず、国外へ

結果的に傷心旅行のようになってしまった京都・大阪旅行を終え、実家に帰りました。
いよいよ社会との繋がりも希薄になり、生きていけるのか、という不安が消えない毎日。
療養していたはずが、完全に悪化してました。

とりあえず携帯に登録している電話番号で、話したい人は片っ端から電話して話したと思います。
(あの時話を聞いてくれた方々、ご迷惑おかけしました。。)

いくら自分の事を話しても答えが見えず、あれだけやりたい事だらけだった自分が何もやりたいことが見つからないもどかしさ。
完全にパニックですよ、ホント。

そんなとき、引きこもってしまって二進も三進もいかない私を見かねた母がちょっと一声。

「ねぇ、何か今まででやってみたかったこととかないの?」

そんなんねぇーよ。やるって決めたことはいつも全力でやってきたし、人生に後悔なんて微塵もない。
なんて思いましたが、一つだけありました!

それが留学。

医学部に受からなかったら、絶対留学する!と思って大学に入りましたが、最初の2年はバンド、後半の2年は塾の仕事が楽しくて仕方なくて、留学しないまま大学卒業していました。
高校時代は全く冴えない生活と成績でしたが(笑)英語だけは得意意識は忘れずに持っていられたと思います。

とは言え、落ちぶれすぎて、そんな英語も一度学年ビリを経験しました。
440人中、440位。
今でも440という数字はトラウマです。笑

さすがに自分に引きました。
そこから猛勉強。

勉強と言っても、そこまで頭が良い訳ではないこともわきまえていたので、ひたすら暗記です。
教科書を、絵画のように覚える。
ただ、それだけ。

塾講師時代にも改めて思ったことですが、暗記って人によって覚えるまでの時間は違えど、最終的に記憶になるまでの時間は一部の人を除いて、8割くらいの人はそこまで差はないんです。
記憶は最大の武器であり、経験とリンクして更に効果的になる一番身につけやすいスキルです。

次のテストのときには頭の中カンニングペーパーだらけですよ。
結果、余裕で1位。笑
テスト結果配布後に職員室に呼ばれ、何かと思ったら、トイレで何してたんだって聞かれる始末。
緊張するとおなかが緩くなることもあって、テスト中に一度トイレ行ったんです。
それがカンニングと疑われたようです。

岡「おなか痛かったんで、トイレ行っただけです。カンニングなどしていません。」
先生「じゃあ、前回最下位の君が、どうやって今回こんないい成績取れるの?どうやって勉強したか教えてくれる?」

私は教室に戻って、バックに入れてあった書き込みや手垢でボロボロになった教科書のコピーを先生に見せました。

岡「教科書丸暗記しました。今回のテスト結果ってほとんど教科書に書いてあることが分かれば解ける問題ばかりでしたよね?」
先生「(黙って渡されたボロボロの紙を見ながら)・・・。次回から疑われるようなことはしないように。」

もうカッチーンです。笑

近くにあった本を数冊先生に投げつけて、職員室を出て行きました。
こんな学校、いつでも辞めてやるよ、くらいに思っていましたが、何のおとがめもありませんでした。

立場がどうの、とかじゃない。
人は完璧じゃないのだから、間違ったことすることも仕方ない。
ただ、それを認めない人、ちゃんと謝れない人ではありたくない、と教えてくれたのは間違いなくこのときの経験です。
そんなこんながあっても英語を嫌いにならなかったのも、きっと何かのご縁だったのでしょう。

大分話が逸れましたが(笑)そんな英語への縁もあってか、留学したい、日本じゃない世界を経験してみたいとずっと思っていました。
それを実行できる絶好の機会が来たわけです。
もっと言えば、彼女との思い出だらけだった地元を離れる良い機会にもなることを心のどこかで求めていたのは事実です。

まず行こうと思ったのはアメリカ
英語を好きになったきっかけである映画と音楽は、みんなアメリカ西海岸と、それを教えてくれた従兄弟の影響です。
ただ、学生ビザで行けるほどの元気も、学費と滞在費用を全て賄えるだけのお金の余裕もありませんでした。

そこで思い出したのが、他社の同年入社の何人かがワーキング・ホリデーなるシステムで海外に行っているということ。
サラッと調べてみると、英語力や学歴問わず、一定年齢未満であれば誰でも簡単に行るということ。
勉強しなきゃいけない訳でもないし、法に触れなければ何してても滞在が許される素晴らしいビザ。

人生見直すには最高の条件だと思って早速アメリカにワーホリで!と思いましたが、そもそもアメリカにワーホリがない。

夢途絶える訳にも行かず、とりあえず海外には出たかったので他の国を考えました。

最終的に、イギリス、カナダ、オーストラリアが残りました。

イギリスは天気悪そう。好きなロックも私の好みとは違う。
カナダはとにかく寒そうだから無理!
オーストラリアはシドニーに一度行ったことがあり、天気も良かった印象。

オペラハウス横目にハーバーブリッジ渡って毎日生活するのもかっこいいなぁ!なんてミーハーな思いで行き先はシドニーに決定

それから辞書片手にワーキングホリデービザを申請。
認可されてすぐに航空券取って何とかメール打ってバック・パッカーを予約。
航空券はあまり日本に戻ってきたくなかったこともあって、片道。

やっぱり学校にもちょっとは行っておこうと思って、ビーチの近くの語学学校という条件でナビタス(当時のAustralian College of English、通称ACE)のマンリー校に行くことにしました。

大方準備は整ったので、後はお世話になった人たちに挨拶して出国。
その挨拶周りをしている途中、地元で会うことになった友達と今まで行ったことのないレストランにいったときのこと。

「いらっしゃいませ。・・・。あぁ!!!」

注文を聞きに来てくれたウェイトレスの子が叫んでいたので何かと思ったら、私を振った元彼女でした。笑
当然の如く頼んだパスタは喉を通らず、話も何をしたか記憶にないままお店を後にしました。

「早く日本を出たほうがいいってことかな。」

このことがあってから、偶然も必然と思うようになった気がします。

「岡T(塾講師時代のあだ名)日本を出るからって過去が消える訳じゃなし、一旦横に置くって思えばいいじゃん。今の岡Tには自分を見つめる時間が必要なんだよ。」

旅行中に後輩が言ってくれた言葉が胸に響きました。
日本を出ると決めた一ヵ月後、私はシドニーにいました。

この記事を書いた人

Otto

気分転換にとワーキングホリデーで滞在していたオーストラリアで人生の方向性を見出し、留学、自力で永住権取得、海外就職を実現。「自分と同じように悩む人たちの力になりたい」という想いで独立。ゴルフ、ファッション、音楽、パースのライフスタイルを愛する社長っぽくない社長。

ACCのスタッフは全員オーストラリア長期留学経験者

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